ウルヴァリン。打ち込んでエンターキー。 「熊…?」 いやいや、イタチらしいですよスコット先生。イタチ科って書いてありますよ。 情けなさげに眉尻を下げて、先生はちょっと頭をかいた。目の前の魔法の箱が呼び出した情報、添付された画像はどう見ても熊。拍子抜け。つか、間抜け。 なんせスコット先生は動物園にいるほうのウルヴァリンを知らなかった。マイナーな動物だし、スコット先生は動物博士というわけでもなかった。そもそもそれが動物の名前であることすら知らなかった。 だって彼の名乗ったコード・ネームが「虎」とか「狼」とか「ニャンコ」とか「ワンコ」とかならまだ原型を思い浮かべられるが、ウルヴァリンって。なんか化学元素みたいな響きだウルヴァリン。 どうでもいいけどなんとなく猫科なんじゃないかと期待していた。ウルヴァリン。 よもや熊にしか見えないイタチ、とは。 (それを名乗った男が) ―――ストーム? ―――サイクロップス? ―――は! じゃああんたは?「車椅子」か? (よく言うよ) (お前なんか熊じゃないか…) とりあえず溜飲が下がったのでよしとした。このネタは今度何かの機会に使ってやろう。ストームとか、絶対爆笑してくれると思う。 とりあえず、唐突に調べたくなったのはそれだけだ。文明の利器はすばらしい。 ふと、カタカタと消した文字を書き換える。画像ファイルを優先的に検索してくれるチェックボックスを選択。 「サイクロップス」 いつもコイツを見ると子供の作った粘土細工を思い出してしまうスコットだ。 ちょっと失敗しちゃって目が一個顔に入りきらなかったお父さん像、っぽい。 だってなんだか、デカくて、のっぺりしてて、ぬぼーっとしてるのだ。 …デカくてのっぺりしててぬぼーっとしてる(ちょっと邪魔)なんて、まさに寝起きのスコット先生である。 自分の異名は、一つ目の怪物。 「人と話すときはグラサン外しなさいって先生に習わなかったか? ア?」 「ほほうコレを外したら痛い目を見るのはお前だがそれでもいいというなら裸眼でお相手させていただくが」 「オウやってみろよ、その瞬間真横に飛ぶぜ。そんで背後の壁は総崩れ。教授カンカン。お前は修繕費で今月の給料がパーだが、人としての礼儀を考えたらそのくらい当然だよなァ」 「なんだウルヴァリン、遠慮するなよ真正面からくらって何秒で治るか計ってやるから。ん? ところでしってるか、ゴキブリって頭つぶしても死なないらしいぞ」 「……キャインキャインうるせえんだよ、一つ目小僧」 「じゃあお前はニャンニャンだな。ニャンニャンクロー。そうそう、ここで生活するに当たって、その辺の柱で爪を研ぐのは止めてくれよ、三本爪の引っかき傷は目立つからな!」 「おまえこそくしゃみするときは口じゃなくて目押さえろよな、ちょっとモレちゃったらたまんねえからな!」 「黙れ形状記憶筋肉! ご丁寧に元の形に戻るんだから洗濯も楽でいいよな!」 「つうかお前そのグラサン似合ってねえんだよ! お洒落おぼえたてのお坊ちゃんか!? 恥ずかしいんだよ離れて歩け!」 「お前こそ髭を剃れ見苦しい! ソレがないと真っ直ぐ歩けないか? ああ、剃ってもミュータント・パワーで治ってしまうのか大変だなあ!」 別に。 そんなの、自虐じゃないんだ。わかってる。自分を卑下するくらいなら、強くて怖くて神のような力に酔うほうがよほどマシと言うことだ。だから彼らミュータントは、時におかしな、時に恐ろしげな通り名を自分につける。そうやって笑い話に、ときには自分の魂を守る剣や鎧に変える。 サイクロップスは、恐ろしげな伝説の化け物。 エックスメンを知るものなら、チャールズ・エグゼビアが連れ歩く懐刀にも必ず心当たりがあるものだ。 サイクロップスと聞けば名前一つで思い当たる、長身に単眼。その厳ついバイザーは顔のほとんどを覆い、表情を隠し、不気味に中央の眼を光らせる。車椅子のわずか後ろ物言わず立って無表情。忠実なるプロフェッサーの腹心。 まあ、バイザーをはずし、グラサンをかけ、黒いスーツを脱いで普段着に着替えれば、このとおり冴えないスコット先生、なのだけれど。シャツのすそもズボンにインしちゃうアレっぷりなんだけど。 それでも。笑えばそれなりに愛嬌のある顔を、わざと厳しく引き結べば大概の相手はその姿に気圧される。 そんなささいな印象一つが、暴力を行使せずにすむための方便にもなるのだと、ある頃から気づき始めた。平和主義の姿勢を崩さない主人。その車椅子に乗る姿も、優しそうな目も、弱そうに見えるものは全てが攻撃の理由になる。そんな世の中に威嚇の牙を見せるのを自分の役目と思うように、なった。 いつも下を向き、目を閉じ、世界に対して罪悪感ばかり感じて、少しでも自分が無害であることを分かってもらおうとばかり考え、無抵抗だけが世界に受け入れてもらえる方法だと思っていた。そんな自分をスコットは覚えている。 今は違う。力の使い方を知り、誇りを知り、自分は人間なのだと知った。やがて庇護される側から、する側へと変わった。力は、使わなければならない。この力は自分を閉じ込める檻だったが、人を傷つける恐ろしい刃にも、仲間を守る盾にもなるのだ。 (だから、どうか) …本当は自分が、脅えているばかりの弱い子供だったことも覚えてる。 本当は冷酷無比なミュータント集団のリーダーなどでは全然なくて、車とバイクをいじるのが好きで、ファッションセンスがなくて、デカくてのっぺりしててぬぼーっとしてるお人よしのお兄さんなんだけど。それでも。 名前一つで、全てを守る盾にもなれるなら。 化け物でもなんでもいいよ。 (おれに、勇気をくれ) 世界で自分ひとりなら、ずっとひざを抱えて泣いていればよかったんだ。そうやって終わりを待てばよかった。さして長い時間じゃないんだから。 でも今は、守りたい人がいるんだ。 ひとりじゃないことが、嬉しいんだ。 だからこの短い人としての生を、胸を張って生きてゆくために、精一杯の虚栄を。 なまえに、たくす。 うん、まあ、それでもなんだか、なかなか自信を持たせてくれない、そういうヤツもいるんだけど。 そいつときたら素で強くて、まさにバトル専門、威嚇専門、という感じで。獣っぽくて、どこでも生きていけそうなくせに、お人よしでいつも人の盾になって…まあ死なないからいいんだけど…すぐにつっかかるし、何より、スコットを子ども扱いするのだ。 おかげでプライドずたずた。 せっかく板に付いた「化け物」の仮面も、その前では形無しになるような、そんな。 「ようサイクロップス、俺はついに必勝法を思いついたぜ」 「へぇ奇遇だな! 俺もちょうどお前について面白いネタを見つけたんだけど」 「…あ!? 何だと!? …なんだよ」 「いえいえそっちからどうぞ」 「てめぇ感じ悪ィなァ…」 「いやお前ほどじゃないよウルヴァリン。さすがの俺もお前には負けるね」 でもどうせお前熊だからな。熊。校内掲示板で出力画像張り出してやろう。「熊出没注意!」ってデッカク書いて。お前校内掲示板見ないだろ。一番最後に気づいて怒り狂っても、もう明日からお前のあだ名クマさんだ。ざまあみろ。 そんなことを思ってニヤニヤしていたら、ウルヴァリンもものすごくニヤニヤしながら「あ! あれなんだ!」とすごくわざとらしく横を指差した。馬鹿なスコット先生は「え?」とかいいながら横を向いて、その隙にグラサン型バイザーを。ズバっと奪われた。 「うわ!」 慌てて目を押さえる。ちょっと出ちゃわなかったろうな! 今! 廊下の向こうで、ボビーが「ウヒー! 壁に穴が!」と騒いでる。なんてこった! 「うううウルヴァリンお前ーッ!」 「ははははは! どっち向いて話してるんだよサイクロップス!」 「お前最悪だ! 何考えてるんだこの! 卑怯者!」 「悔しかったらここまでこいよー」 小学生か、といいたくなるくらいの頭の悪いノリで、ウルヴァリンはスコット先生の手から逃げる。 こっちこっち、と笑い声のするほうへ、目を閉じて走り出した。 途中生徒を巻き込んですっころぶと、ウルヴァリンの大爆笑が聞こえてくる。ご丁寧に付かず放れずの距離を確保しているらしい。 「笑うなお前まてよコラぁッッ! お前マトにしてビームの訓練してやる!」 「だーからそのまえに捕まえて見せろってのーセンセー?」 「先生って言うな! お前の先生じゃない!」 「だっははは!」 巻き込まれた生徒が手を掴んで起こしてくれる。 「ス、スコット先生、大丈夫?」 「あああゴメンボビー、怪我はない?」 さっきの目ビームの方が危なかったよ、というのを半分も聞かないうちに、ウルヴァリンが走りながら呼ぶ声に誘われる。 「おいおいちんたらしてっと捨てちまうぜーホラ走れよ! こっちだ!」 「…ッ待て!」 「せ、先生目閉じて走ったら危な…っ」 制止の声も聞こえずに、子供のように廊下を走った。 目を閉じて走るのなんて何年ぶりだろうか。あのバイザーを使うようになってからは、自分からはずすようなことは滅多にしなかった。 途中何度も通行人とぶつかりなりながら、声だけ頼りに、走る。出会ったときは低くて暗かった声。傷ついた野生の獣のようだった声が、笑ってはしゃいで、子供のようにスコットを呼ぶ。ほら、こっちだ、もう少し、惜しいあとちょっと! キャッと悲鳴を上げた生徒に笑って謝って、授業用の資料をバラ撒いてしまったストームに怒られながら、学園中走り回った。 ふと、ウルヴァリンの声が消える。 「…おい? どこだ!?」 っていうか、ここはどこだ。 「おいおいおい! 冗談よせよ、いるんだろ!?」 まいった! これじゃあ部屋にも戻れないじゃないか。走ったせいで汗だくで、別の汗もちょっとかいて、スコットはきょろきょろ周りを見回す。生徒の気配もない。 「ええと……そりゃないだろ! おいっ…ウルヴァリン!」 ふへ、と息をついてへたりこむ。 「…最悪…っ」 「いつもこんなん、つけてるのかお前」 「!」 すぐ後ろから声がした。あわてて立ち上がろうとして、とて、と転ばされる。 走り回って少し息を乱したウルヴァリンが、後ろに座った。ついさっきまで何の気配もなかったのに。そうか、こいつは気配を消せるんだ。まるで狩をする動物みたいに。 「真っ赤だな…」 「?」 ぼんやりした声が何のこと言ってるのか考えて、思い至った。 スコットの、サングラスだ。あれをつけて覗く世界は、全てが紅く染まっている。きっとウルヴァリンはあれをつけてるのだ。 「疲れるだろう。こんなんじゃ。苛々しねえか」 「…見えるのに、目を閉じてなきゃいけない苛立ちに比べたら、まだマシかな」 「そうか」 「ああ、でも久しぶりに目を閉じて走ったよ。不安だけど、昔みたいに焦って苛々しなかった。学園の中だし、誰かの声についてくだけなら悪くないもんなんだなー」 「そりゃ、知らない人間だらけの道で、むやみに目を閉じて走るのは怖いだろうな」 「怖いし、焦るし、目が開けたくてむずむずするさ。目の見えている相手から逃げてるときはなおさら」 「……」 カチャ、とはずす音がする。 「それ、返せよ」 「お前馬鹿だろ。ここに置き去りにされたらどうするつもりだったんだ」 「うん? つうか、ここ何処?」 「後で見てみろよ」 「後でって…今返せよ、なぁウルヴァリン」 振り向いたとたん、相手の汗のにおいがした。うわ汗クサーと顔をしかめながら、でもなんだか嫌じゃなかった。随分走ったもんなーと思いながら、なんだか沈黙が。 「えーと」 背中合わせに座っていたはずのウルヴァリンが、こっちを見ているような気がする。 眉間の辺りに視線を感じてなんだか…むずむずするような…。 「ウ、ルヴァリン?」 「本名は?」 「…?」 「サイクロップスなんて名前じゃないんだろ」 「そりゃあ…お前は?」 「ローガン」 いや、何聞いてるんだ。知ってるさ。 ジーンと、ローグがそう呼んでたもの。知ってるさそりゃ。 「スコット…サマーズ」 「スコットな」 「っていうか、知ってるよな?」 「生徒どもが呼んでたからな」 だよな。 「じゃあなんで?」 むに、と唇になんだか柔らかいモノが当たって、スコットは黙った。 なんだこりゃ。 「んんん?」 「だぁってろ」 あ、やっぱ口だ。喋ったし。息が、当たるし。むにむに動いたし。 いやいや。一応しってますよ。こういうムード。こういう空気。 スコットだって童貞じゃないし、コレでも彼女持ちだし、優しくて強くて長身で、臭くもデブでもブサイクでもない男なのでそこそこモテる。いやでも。 (男とこういう空気になったのはさすがに…) つうか。ウルヴァリンだし。これって普通キスするタイミングだったんだろうか、と、スコットはのちのちまで悩む羽目になる。 「お前、なんかたまんねえな」 「……」 褒められているのか貶されているのか絶妙に判別しがたいお言葉に、あっけに取られているうちに、ザリ、と髭が頬に触れた。ナニコレ。サバオリ!? ジャーマンスープレックスへ繋がる予備動作か!!? ぐるぐる混乱しながら、それが抱擁だと気づいた頃には、すっと体温が離れていった後だった。 「なんにでもホイホイついていくんじゃねーよ『スコット先生』」 「……ッ」 とん、と押されて倒れた先はベッドだった。 いやいやいやいやちょっと待って待ってくださいよなにそれ!?と動揺したのもつかの間、なんだか覚えのある匂いで。 …つうか、自分のだし。 いやここ自分の部屋か!!と気づくのと、離れた気配が部屋を出て行き、扉を閉めるのが同時だった。ローガンは今度こそ気配を消すこともせず、普通に足音まで立てて廊下を歩いていった。 なんだかやられてしまった感でいっぱいだ。 「うわー…」 っていうか、もしかして今のは危ないところだったんじゃないのか。 いやそれともあのキスは悪戯で、そんなのを他人に見られたくなくてここまで引っ張ってきたのか…。単なる優しさなのか…。っていうかローガンってゲイなのか…? だとしたらこりゃまさか警告なのか? お嬢さんお逃げなさい、ってか? 「うわぁーーーーー」 うずくまって頭を抱えた。 単眼の巨人が、今日はなんだか小さく見える。 後で二人は教授に呼び出され、校内を騒がせた件でちょっぴり怒られた。 そしてスコットは本来の予定通り『ウルヴァリン』の写真を校内に張り出し、翌日からローガンのあだ名はクマさんになった。 優しい森のクマさんの警告を無視した一つ目の化け物が、グラサンを返して貰いに行って食べられてしまったかどうかはさだかではない。 FIN <20050315 御堂> →お戻りはブラウザバックでお願いいたします。 |